ヒストリア宇部について

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ヒストリア宇部の歴史

宇部銀行(現 旧宇部銀行館 ヒストリア宇部)は、石炭産業によって急速に発展していた宇部村(現・宇部市)において、宇部村エリアの経済を支えるための地元金融機関が必要だという機運の中、宇部共同義会を中心に、渡辺祐策、高良宗七、庄晋太郎、新川元右衛門、西村策郎らの地元事業家により、当時休眠状態であった広島県賀茂郡阿賀町(現・呉市)の株式会社矢部銀行の営業権を買い取り、1912年(明治45年)7月1日に設立。
株主は全て宇部村および同一経済圏に属していた藤山村(現・宇部市)の住民で、まさに宇部のひとによる宇部のための銀行である。貸出金のうち半分近くは炭鉱関係だったようだ。

1944年3月31日には、国策の「一県一行主義」により当時山口県内にあった宇部・大島・華浦・船城・百十の各行が合併して「山口銀行」が設立。
宇部銀行本店は山口銀行宇部支店となった。2006年12月、山口銀行宇部支店が新築移転したので、2007年、藤田忠夫宇部市長(当時)が保存の方針を打ち出し、現存している。この年、旧宇部銀行は経済産業省の近代化産業遺産に認定され、2009年には、宇部市は「旧宇部銀行本店」を、宇部市の景観重要建造物に指定した。
旧宇部銀行本店は大空襲の被災を免れた貴重な建物でもある。

現在の建物は、村野藤吾の設計で、彼の出世作と言われる渡辺翁記念会館の設計者。彼と宇部との関係は深く、宇部市文化会館に続き、宇部興産ビルなど多くの建物を設計している。
宇部銀行本店は、1939年に完成。当時は戦時下ということもあってか、外観は同時期の銀行建築にみられる西欧古典主義的建築様式とは異なり、真締川の軸線にあわせ、約78度で交差する外壁面で構成された簡素なものとなっている。
※戦前の常盤通りは、現在と異なる角度で真締川と交差していた。